吉田 かおりさん / 吉田 智彦さん
横浜市から福井県南越前町に移住したご夫婦。かつて智彦さんの祖父母が住んでいた空き家の納屋をセルフリノベ。自然と人間の関わりを取材するライター・写真家として生計を立てつつ、自らの手で大胆なDIYに取り組んでいます。
2020年に日本全国を襲ったコロナ禍。外出が自由にできなくなり、仕事のやり方も変わってきた。そんなことをきっかけに、それまでの暮らしを見直し、これからの暮らしを考え直した方も多いのではないでしょうか。今回ご紹介する吉田智彦さん、かおりさんご夫妻もそんな方々。コロナ禍をきっかけにそれまでの生活からのシフトチェンジを決意し、智彦さんの父親が生まれ育った福井県に移住することにしました。そんな二人を待っていた福井県での、想像もしなかった暮らしの数々を聞いてみました。
コロナ禍をきっかけに、
暮らしを見直そうとした結果、
ここに住んでいます。
吉田智彦さん|ここは親父のふるさとで、祖母が亡くなってから、20年以上ずっと空き家でした。ここに引っ越してくるまで僕はずっと神奈川に住んでいて、フリーランスでライターやフォトグラファーの仕事をしていました。そこにやってきたのが、コロナ禍。それまでの都会での生活スタイルの危うさを感じ、自然の豊かなところに住んで、生活そのものを見直そうと考えました。そこで、どこか良いところがないかと探す中で、この父の実家にいきあたりました。ここを見に来る前は母屋に住もうと思っていましたが、ずっと空き家だったので、想像以上に家が傷んでいましたね。母屋は建物が大きく自分で修繕するには手に負えないので、諦めかけました。けど、その後ろにある納屋だったら小さいし、なんとかなるかなと安易に考えて、こっちをDIYで修繕していくことにしました。
会社員の働き方や都会暮らしだけを
知っている過去の自分が今を見たら、
なんと驚くだろうかと。
吉田かおりさん|私の親は会社員で、兄弟も親戚も会社で働く人ばかり。そういう働き方しか知らなかったので、私自身も大学を出てからずっと会社員をやっていました。
智彦さん|会社を辞めた後、フリーで雑誌や本のライティングをしたり、写真を撮ったりしていますが、コロナ禍がやってきたことで仕事も減り、このままだと尻すぼみだと危機感を覚えました。
コロナ禍以降、働き方が変わるっていう雰囲気になったじゃないですか。今思うと、実際はその前から可能だった働き方だけども。僕自身はフリーランスなので、出社はないけれども、出版社に行きやすい場所として神奈川に住んでいました。ですがコロナ禍以降、取材や打ち合わせをオンラインですることが多くなり、どこにいてもできることが増えたんです。
街に住んでいるとすべてにお金が必要ですよね。街では、柿もお金で買わないといけない。けど、ここだったら柿が木になっていて、困るほどあります。暮らしに必要なものすべてを自分で作ろうとは思わないけど、自分で作ったり、お金を介さないで手に入れたりできる環境に住みたいとは思っていました。なので、コロナ禍が来たタイミングで、そっちの方にシフトしたいと思って、妻に相談したら「行こう!」ってなって、移住しました。
—
この続きは『家庭医とゲストハウスオーナーが診るウェルビーイングな暮らし〜里山で生きる10人〜』でご覧いただけます。