山田 美代子さん
福井県で生まれ育つ。戦争の中で育ち、終戦の年に洋裁学校を出て、洋裁業などに従事してきた。診療所における医学教育の理解者の一人である。
人生100年時代と言われる現代。体が動くうちは働けるから心配がないものの、歳を重ねても、しっかりと生活していけるのだろうか。そういう不安を持っている人も多いことでしょう。
今回は、山間に佇む今庄宿に住む、95歳の山田さんに、元気に生きている秘訣と人生観を聞いてみました。
今の世の中で生きていることは幸せだと思う。
私は78歳まで働いていました。最初に働いたのは、男物のカッターシャツの洋裁。終戦の年に18歳で洋裁学校を出たから、しばらくそこで働いていました。嫁入りして今庄に来た頃から時代的に仕立ての仕事が減ってきたから、蚊帳工場で働くようになった。
終戦のときのことを言うてもいいかな。私は36連隊(注釈:陸軍歩兵36連隊/鯖江市)のそばで育ったの。終戦のときは「外国の部隊が来る」って大騒ぎやったわ。そのときに比べると今は極楽やわ。私らの若いときの苦しみを、若い人は知らんと思う。戦争の危ない中を生きてきた。私らは高等科2年で出たから、学校には8年しか行ってない。それでもなんとか今でも生きている。
親へは感謝しないといけない。
今の子たちは親に学費を払ってもらって、大学にまでいって幸せやと思うよ。当たり前やと思って、学校にいかせてもらってんのに親に反抗するやろ?感謝しなあかん。自分が学費とか生活費を払うようなことはなくって、親にもらってばかり。親は大変な思いをしているんよ。
うちらのときは食べたくても食べ物が満足になかった。だから、親は子どもに食べさせるのも苦労したと思う。
病気になったら心配。学校の試験でも心配。子どもの3倍くらい親は苦労しているから、それを忘れたらあかんよ。
口には出さないけど、大きくて良い子になっても心配。親は取越苦労やけど、心配ばかりしてる。親は子どものためにならどんなこともしてあげたいと思うやろ。なってみないとわからないけどね。
若いときに苦労したから、今はしたくないことはしない。
もう95歳になったから、したくないことはしない。仕事にもお金にも欲がないわ。78歳まで年金もらいながら現役で働いてきたから、遊びにもよく行ったよ。78歳までスナックも通ったんやで。けど、今はそんな気持ちにならないわな、行ってもなんもおもしろくない。私は年寄りのわりには遊んだほうやと思う。昔はお金も稼いでたけど、今はあんまりお金もいらん。ちょっともほしくないな。
主人は国鉄(現JR)で働いてて、結婚したときの主人の給料は昭和26年当時、世間の半分ぐらいで、ずいぶん安かったの。でも年金をしっかりかけたから、今はしっかりもらってる。けど、払っていたときはきつかったぞ。楽と苦労は一緒についてくる。私は、若いときには苦労したほうがいいと思ったから、この払ったのがいつお金になるかと楽しみにしながら頑張ってきた。
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